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ちばの醤油のこと 銚子編

銚子の駅を出て改札を背にして、
左に進むとヒゲタ醤油さん、右に進むとヤマサ醤油さんが醤油を醸造しています。
名物ぬれ煎餅に、どちらが使われているか興味深いところですが、
駅の広告ベンチも、飲食店の卓上醤油にも、ほぼ両社が並ぶ程地元に愛されているそうです。
この両社が関東濃口醤油を発展させ、銚子の町を支えてきた事に間違いないようです。
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それぞれ屋号に上の字が記されているのは、江戸末期に幕府のお墨付きを得た証です。

江戸時代は、お酒同様に醤油の産地も上方が中心でした。
特に堺近郊で作られていた「溜醤油」は評価が高く、全国に流通していたとのことです。
元治元年(1864年)幕末、幕府は高騰した物価を抑えるため、
商人に4割近い価格の引き下げを厳命します。
銚子と野田の有力な醤油醸造家たちは、
「品質を落とした醤油の醸造は不可能で、値下げすれば経営もできない」
と申し立てたところ幕府の理解を得られ、銚子と野田の特に優良な七蔵が
「最上醤油」として、特別に現行価格で販売することを許されたそうです。
屋号の上の字はその証を意味する最上の「上」になります。
このエピソードは絶好の宣伝文句となり、「極上が関西なら関東はその上の最上の醤油」と、
関東の濃い口醤油が全国に定着していったそうです。
屋号の上の文字が、立地と一緒で左右に分かれているは偶然なのでしょうか??

千葉の関東濃口醤油が浸透した理由には、利根川や江戸川の水運を使った江戸への地の利と、
霞ケ浦の大豆や筑波の小麦といった、質の良い原料産地が近かった事があげられています。
小麦を多用した香り高い関東の濃口醤油は、江戸前寿司や割烹、
蕎麦屋や天麩羅屋、鰻屋といった江戸の食文化の発展にも大きく貢献したと言えるようです。

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by chibanokoto | 2011-09-05 02:56 | 最近体験した●●●のこと  

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