市川市の梨のこと  その1

市川市の梨園を覗いてみたら、枝先に幾つもつぼみが出来ていました。

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梨の収穫までを追ってみようと、知り合いの梨園の方にお願いしたところ、
「冬から春先の剪定作業を見なくちゃ始まんないよ~」と
「・・・・・・・。」

剪定作業は数年先までを見据え、木の形を整え効率よく収穫を行う為の
手間も掛かる大切な作業だそうです・・・。早速見逃してしまいました・・・。
仕方がないので、剪定作業は来季見させて頂く事として、あらためて・・・
梨園の一年は、収穫を終えた初冬に畑の土を作る事から始まります。
土作りが終わると春先まで剪定が行われます。
花芽の付きが良さそうな枝を残し棚に導きます。4月になる頃には花が咲き、
摘花、交配の作業に入ります。天候に左右されるので慌ただしい日が続くそうです。
春から初夏に掛けて数回摘果が行われ、選抜した実を大切に育てていきます。
この頃には畑は防鳥ネットに覆われ、収穫まで畑と木、実のケアーが続きます。
そして8月から10月にかけて、品種ごとに順次梨の収穫が始まります。

市川の主な梨の収穫時期は、
8月上旬から8月下旬に「幸水(こうすい)」みずみずしく酸味が少ない甘い梨です。
8月中旬から9月中旬は「豊水(ほうすい)」濃く深い味わいで食感も豊です。
9月中旬から10月中旬の「新高(にいたか)」は500g超の大ぶり。芳醇で正月まで日持ちします。
他にも甘味の多い「あきづき」や、その名の通り香り豊な「かをり」などが栽培されていますが、
私は真夏に食べるシャキシャキジューシーな幸水が大好きです。
最初に市川に梨の苗を植えた人へ感謝したくなります!

誰にお礼を言うか?と言うと、約200年前の川上善六さんです。
1742年、市川八幡に生まれた川上さんは、学識に富んでいて
農業のかたわら、手習師匠もしていた当時の知識人だったそうです。
砂地だった八幡地方に適する作物を探しに諸国をめぐり、
地質が八幡地方に似た「美濃の国大垣」辺りで、偶然梨栽培を目にしたそうです。
川上さんはその梨の枝をもらい受け、旅の道中に枯れないようにと大根に挿して持ち帰り、
今の八幡神社の付近に接木苗を植えたそうです。接穂はうまく活着して3年後に結実しました。

その頃八幡村は野菜栽培が中心でしたが、
収入が良い物ではなかったのでたので、梨畑を作ることに専念したそうです。
その為、享和の頃には梨畑もだいぶ増え、神田市場への出荷も増えていったようです。
高価な物なので、店頭では毛氈を敷いて梨が痛まないようにしていたといわれています。
文化の頃になると青果問屋の遠州屋長三郎が八幡梨を一手に売り捌くこととなり、
幕府の御用達や諸侯にも納入していたので名声は挙がる一方だったといわれています。
この事は、市川市の本八幡駅近くにある八幡八幡宮の石碑にも記されています。

これが市川梨の起源とされ、現在も市川梨として東京市場では、
一番銘柄として全国の梨を牽引しています。


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by chibanokoto | 2011-04-08 03:08 | 最近体験した●●●のこと  

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