ちばのみりんのこと その1

いまだにプラレールが大好きな、小3の息子と二人でぶらり旅に出かけました。
ベイ・東葛エリアの流山市には「流山鉄道」というローカル線が運行しています。
流山駅から松戸市の馬橋駅まで6駅、走行距離6km弱の単線の電車です。
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駅の時刻表は手書きで、2両編成の列車は40年?物。勿論PASMOもSUICAも使えません。
流山鉄道の路線上はタイムスリップしたかのような懐かしさが漂います。
たったの¥190(大人)で端から端まで乗車出来る事にも驚かされました。
大正2年(1913年)、町民有志によって開通したこの鉄道は、
今でも地域住民に欠かせない大切な足として活躍をしています。
開通の切欠は、流山で醸造された味醂を常磐方面へ輸送する事。
途中駅には、かつての流山味醂の2大メーカー「天晴(あっぱれ)味醂」と「万上味醂」の
醸造所への引込み線の跡が今でも見受けれるそうです。
「天晴味醂」は帝国清酒(株)と合併後(株)三楽を経て、メルシャンへと辿ります。
その経過中ブランドは失われ、「天晴味醂」醸造場跡は
メルシャンの工場として長く稼動していましたが、現在は大型量販店になっています。
一方、「万上味醂」は野田市の醤油醸造所とキッコーマンとして合併されましたが、
現在も流山キッコーマン工場として万上味醂の醸造が行われています。
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今も味醂の名産地として語り継がれている流山味醂の歴史は、
江戸中期、天明2年(1782)酒造りを営んでいた秋元三左衛門の「天晴味醂」と
文化11年(1814年)堀切紋次郎の「万上味醂」が淡い黄金色で上品な味わいの
白みりんの醸造に成功した事に始まるそうです。
誕生の背景には、近くに上質なもち米とうるち米が栽培されていた事、
もともと醸造業が盛んだった事、江戸川流域の船便を活用出来た事等が
味醂の名産地として、江戸の町に定着出来た大きな要因と考えられているそうです。

北陸や東北地方から太平洋まわりで運ばれた多くの物資は、銚子で陸揚げされ
銚子で水揚げされた鮮魚と一緒に利根川を上り、関宿を経て江戸川を下っていたそうで、
流山には舟着場が作られ、多くの荷物や人々が行き交う商業地として発展したそうです。
万上味醂を醸造する、流山キッコーマン工場の周辺には当時の面影が色濃く残っています。
工場真裏にある、新撰組近藤勇が降伏した場所とされる陣屋も、流山の歴史を繋ぐ一つです。
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そこから歩く事数分、大きな江戸川の堤防にたどり着きます。
岸辺には何時の物かは分かりませんが、船着場の杭が残っていました。
江戸から明治時代に掛けて、醸造された流山の味醂がこの岸辺まで運ばれ、
高瀬舟を使い江戸の町まで運ばれていて、大正、昭和時代には船に変わり鉄道が使われた・・・。
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僅かな滞在時間でしたが、流山と白味醂の歴史に少し触れる事が出来た気がします。
ちょっとした散歩やサイクリング、子供とのぶらり旅にもお勧めの場所です。



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by chibanokoto | 2011-06-11 03:41 | 最近体験した●●●のこと  

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