ちばのみりんのこと その3
流山から江戸川を遡ること十数分、利根川と江戸川を結ぶ利根運河と合流します。
利根運河は、全長約8.5Kmの日本一長い運河です。
210万人の労働者を動員し総延長8.5km、川底幅18m、平均水深1.6mの利根運河が
明治23年6月に完成すると、水運は活発になり一日平均100隻もの船がここを利用したとの事です。

利根運河を上流へ数キロ進んだ所に、千葉県最北の造り酒屋、
窪田酒造さんが清酒を醸造しています。創業は明治五年(1872)、
利根運河開削にあわせ、初代吉宗さんがこの地を選び移ってきたそうです。

奈良時代、西は東京都墨田区や江東区、東は千葉県船橋市、
北は埼玉県久喜市にまたがる広大な都、葛飾が存在しました。
奈良正倉院文書には「葛餝郡」と記され、万葉集では勝鹿・勝牡鹿・可豆思賀と
表記されているそうです。後に武蔵国、下総国に分かれ藩制、廃藩置県を経て
現在のような市町村となりますが、今でも、市川、船橋、松戸、野田、柏、流山、
我孫子、鎌ケ谷、浦安地域を指す地名として東葛と言う呼び名が残っています。
窪田酒造さんの清酒のブランド名は「勝鹿」万葉集の「かつしか」から取った物です。
窪田酒造さんのもう一つのブランドが古式造り本みりん「宝船」。創業時から伝統を守り、
飲用みりんの醸造を続けています。(勿論調味料としても最高のみりんです。)

みりんの歴史は諸説ありますが、戦国時代には甘味が貴重な時代の飲み物、
お酒として既に飲まれていたそうです。
みりんの旨味とコクを隠し味として活用するようになったのは、
蕎麦屋、鰻屋等の料理屋が確立された江戸後期からの事です。
野田近辺でも、みりんは飲み物として浸透していました。
窪田酒造さんでは、大正期は清酒とみりんの出荷量は同じ位だったそうです。
みりんに焼酎を足して飲む「本直し」は、甘味も得られ、
アルコール度も高く、多くの人に親しまれていたそうです。
「本直し」は西では「柳蔭(ヤナギカゲ)」と呼ばれ、夏の暑気払いとして楽しまれていた事が、
上方落語の「青菜」の話の中でもうかがう事が出来ます。
本みりんは、蒸したもち米、米麹、アルコールを原料にし糖化、熟成させた酒類です。
窪田酒造さんがみりんに使う米の精米歩合は75%前後。
一般的なみりんの精米歩合が、おおよそ85%前後と言う事ですので高精白です。
精白された米は、水分を含ませる為に浸漬(シンセキ)されます。
麹は27~29%、掛米(もち米)で33%まで水分を含ませます。
清酒の浸漬よりやや高めの含有量です。
その後、掛米、もち米それぞれ甑(コシキ)で1時間ほど蒸されます。
大手ではみりんが白濁しないように、圧力を掛けてもち米を蒸すそうですが、
窪田酒造さんでは昔ながらの方法を用い、熟成の力に委ねて白濁を抑制しているそうです。
出来上がった米麹と蒸したもち米、アルコールを仕込みタンクで合わせもろみを造ります。
既にアルコールが入っているので、清酒の様にアルコールを作り出す酵母は必要ありません。
使う麹の割合は清酒同様の2割程度との事ですが、
もち米を溶かす麹の酵素力がとても重要になります。
使うアルコールの量は総量の66%。
清酒に使われる水の量が80%前後ですので、かなり濃度の高い物になります。
もろみは2ヶ月ほど熟成を施され、デンプンが糖分に、タンパク質がアミノ酸へ分解され
甘味、うまみ、香気成分が醸成されていきます。
熟成が終わると清酒と同様に上槽(ジョウソウ)され絞り作業に入ります。
みりんのもろみは清酒に比べ硬い物になるので、
高級酒に使われる手法の槽(フネ)で絞りを行います。
袋に取ったもろみを、一つ一つ枠にならべ、圧力を掛けてゆっくりじっくり絞られます。
上槽されたみりんはおり引きされ、瓶詰され窪田酒造さんの
古式造り本みりん「宝船」が製品となります。千葉、流山が発祥の白みりんの完成です。
窪田酒造さんを訪問した日は33度の猛暑日。
帰宅後、早速暑気払いで「古式本みりん」を頂きました。
麹の旨みがグッと来る上等なみりんです。折角なので趣向を凝らしカクテルも作ってみました。
ロックグラスにみりんを注ぎ、ミントとレモンスライスを沿え
(多目の方がサッパリと飲めます)みりんに対し3倍のソーダで満たします。
5%程度のアルコール度数ですので、夏の昼下がりでも気楽に飲めちゃいます。

あてはこの時期が旬のちばの枝豆。
実は、窪田酒造さんがある野田市は、全国有数の枝豆特産地です。
ちばの枝豆のことへ
ちばのみりんのこと その1へ
ちばのみりんのこと その2へ
清酒「勝鹿」窪田酒造へ
利根運河は、全長約8.5Kmの日本一長い運河です。
210万人の労働者を動員し総延長8.5km、川底幅18m、平均水深1.6mの利根運河が
明治23年6月に完成すると、水運は活発になり一日平均100隻もの船がここを利用したとの事です。

利根運河を上流へ数キロ進んだ所に、千葉県最北の造り酒屋、
窪田酒造さんが清酒を醸造しています。創業は明治五年(1872)、
利根運河開削にあわせ、初代吉宗さんがこの地を選び移ってきたそうです。

奈良時代、西は東京都墨田区や江東区、東は千葉県船橋市、
北は埼玉県久喜市にまたがる広大な都、葛飾が存在しました。
奈良正倉院文書には「葛餝郡」と記され、万葉集では勝鹿・勝牡鹿・可豆思賀と
表記されているそうです。後に武蔵国、下総国に分かれ藩制、廃藩置県を経て
現在のような市町村となりますが、今でも、市川、船橋、松戸、野田、柏、流山、
我孫子、鎌ケ谷、浦安地域を指す地名として東葛と言う呼び名が残っています。
窪田酒造さんの清酒のブランド名は「勝鹿」万葉集の「かつしか」から取った物です。
窪田酒造さんのもう一つのブランドが古式造り本みりん「宝船」。創業時から伝統を守り、
飲用みりんの醸造を続けています。(勿論調味料としても最高のみりんです。)

みりんの歴史は諸説ありますが、戦国時代には甘味が貴重な時代の飲み物、
お酒として既に飲まれていたそうです。
みりんの旨味とコクを隠し味として活用するようになったのは、
蕎麦屋、鰻屋等の料理屋が確立された江戸後期からの事です。
野田近辺でも、みりんは飲み物として浸透していました。
窪田酒造さんでは、大正期は清酒とみりんの出荷量は同じ位だったそうです。
みりんに焼酎を足して飲む「本直し」は、甘味も得られ、
アルコール度も高く、多くの人に親しまれていたそうです。
「本直し」は西では「柳蔭(ヤナギカゲ)」と呼ばれ、夏の暑気払いとして楽しまれていた事が、
上方落語の「青菜」の話の中でもうかがう事が出来ます。
本みりんは、蒸したもち米、米麹、アルコールを原料にし糖化、熟成させた酒類です。
窪田酒造さんがみりんに使う米の精米歩合は75%前後。
一般的なみりんの精米歩合が、おおよそ85%前後と言う事ですので高精白です。
精白された米は、水分を含ませる為に浸漬(シンセキ)されます。
麹は27~29%、掛米(もち米)で33%まで水分を含ませます。
清酒の浸漬よりやや高めの含有量です。
その後、掛米、もち米それぞれ甑(コシキ)で1時間ほど蒸されます。
大手ではみりんが白濁しないように、圧力を掛けてもち米を蒸すそうですが、
窪田酒造さんでは昔ながらの方法を用い、熟成の力に委ねて白濁を抑制しているそうです。
出来上がった米麹と蒸したもち米、アルコールを仕込みタンクで合わせもろみを造ります。
既にアルコールが入っているので、清酒の様にアルコールを作り出す酵母は必要ありません。
使う麹の割合は清酒同様の2割程度との事ですが、
もち米を溶かす麹の酵素力がとても重要になります。
使うアルコールの量は総量の66%。
清酒に使われる水の量が80%前後ですので、かなり濃度の高い物になります。
もろみは2ヶ月ほど熟成を施され、デンプンが糖分に、タンパク質がアミノ酸へ分解され
甘味、うまみ、香気成分が醸成されていきます。
熟成が終わると清酒と同様に上槽(ジョウソウ)され絞り作業に入ります。
みりんのもろみは清酒に比べ硬い物になるので、
高級酒に使われる手法の槽(フネ)で絞りを行います。
袋に取ったもろみを、一つ一つ枠にならべ、圧力を掛けてゆっくりじっくり絞られます。
上槽されたみりんはおり引きされ、瓶詰され窪田酒造さんの
古式造り本みりん「宝船」が製品となります。千葉、流山が発祥の白みりんの完成です。
窪田酒造さんを訪問した日は33度の猛暑日。
帰宅後、早速暑気払いで「古式本みりん」を頂きました。
麹の旨みがグッと来る上等なみりんです。折角なので趣向を凝らしカクテルも作ってみました。
ロックグラスにみりんを注ぎ、ミントとレモンスライスを沿え
(多目の方がサッパリと飲めます)みりんに対し3倍のソーダで満たします。
5%程度のアルコール度数ですので、夏の昼下がりでも気楽に飲めちゃいます。

あてはこの時期が旬のちばの枝豆。
実は、窪田酒造さんがある野田市は、全国有数の枝豆特産地です。
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清酒「勝鹿」窪田酒造へ
by chibanokoto | 2011-07-07 04:25 | 最近体験した●●●のこと