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習志野のソーセージのこと その1

ソーセージの語源は、「塩漬け貯蔵」を意味するラテン語の「salsus」サルサス
に由来しているそうで、基本的にハムもソーセージも塩漬けした肉を使うそうです。
ハムは豚肉を塊の状態で造るもの、ソーセージは豚肉に限らず食肉を
ミンチして調味料と混ぜ合わせてつくるものと大雑把に分られるようです。
西欧では古くから、と畜した肉を余すことなくハムやソーセージにと親しまれ、
貴重な食料を備蓄する為の知恵としても活用されていたようです。
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日本では仏教の伝来とともに、長く食肉が敬遠され食肉文化が発展していませんでしたが、
江戸時代、鎖国の頃の長崎出島では、オランダ人によってハムが造られていて、
奉行所役人を交えた宴席ではハムのようなものが提供されていたようですし、
明治に入ると、
長崎では片岡伊右衛門さんがアメリカ人のペンスニさんから食肉加工を学び製造開始、
北海道開拓使庁では、開拓民の為の効率の良い食品として、ハムの製造試作、
鎌倉ではイギリス人ウィリアム・カーティスさんがハムやベーコンの製造を始めたとされています。

西欧各国からハムや食肉加工の製造技術が伝えられてきたようですが、
多くの日本人がハムやソーセージと聞いて思い浮かべる国は、ドイツでは無いでしょうか?
お祭りや遊園地などで買い喰いするのはフランクフルト、
スーパーに並ぶソーセージの商品名にはドイツ語らしき単語が多く並んでいます。

本格的にソーセージを日本に広めたのは、
大正7年(1918年)第1次大戦末期の習志野収容所と言われています。
習志野市教育委員会社会教育科によると、大正4年~8年の間、
習志野収容所には捕虜として多くのドイツ人将兵が人道的に収容されていて、
所長はドイツ士官学校へ留学の経験がある西郷寅太郎大佐(西郷隆盛の嫡子)が
務めていたとの事です。西郷所長はドイツ文化に理解もあり、
その生い立ちから敗戦の惨めさも知っている人物です。
西郷所長管理下、収容所では日常的に菜園作りにビール醸造まで許されていて、
ソーセージもマイスター(職人)により造られていたそうです。
さらには運動会や演劇会、オーケストラを編成しての演奏会等が催され、
地域住民も交えながら友好的な関係が保たれていた事が、
習志野市のホームページ上で紹介されています。

ちょうどその頃、隣の千葉市に農商務省畜産試験場が新設されました。
試験所の技師であり、海外で畜産や食肉加工を学んだ飯田吉英(イイダヨシフサ)さんは、
栄養価の高い食肉加工の国産化を目指し、習志野収容所を訪問し、
西郷所長の協力のもと、収容所のソーセージ職人カール・ヤーンさんはじめ
5人のソーセージ職人から、本格的な伝統のドイツソーセージの製法を伝授されます。
飯田さんが習得した技術、製法は農商務省の講習会を通じて、
日本全国の食肉加工業者に伝えられて行きました。
習志野市がソーセージ製造発祥の地と言われている由縁です。

当初カール・ヤーンさんは、伝統の製法を公開する事をためらっていたそうです。
厳格なマイスター制度がひかれていた当時のドイツ職人には当然の事かもしれません。
見よう見まねで日本で作られていたソーセージとの違いがここにあるようです。
習志野でのカール・ヤーンさんと西郷所長、飯田技師の出会いにより誕生した、
日本で最初の本格ドイツソーセージとはどのようなソーセージだったのでしょうか?


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by chibanokoto | 2011-09-24 20:18 | 最近体験した●●●のこと  

銚子のヒゲタ醤油のこと

銚子の駅を降りて左に進むと、大きな醸造設備が見え隠れしてきます。
それを目印に15分程進むとヒゲタ醤油さんに辿り着きます。
敷地に入り古い木桶の入り口をくぐると、醤油の資料館が常設されていて、
ヒゲタ醤油さんの歴史、醸造方法、昔の道具、歴代の製品等が展示されています。
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創業元和2年(1616年)漁業を営んでいた3代目田中玄蕃(タナカゲンバ)さんが、
摂津西ノ宮(現兵庫県西宮市)の酒造家から醤油の醸造法を学び、
銚子で初めて溜醤油の醸造を始め、売り出した事が創業とされています。
その後、元禄10年(1697年)5代目の田中玄蕃が、現在の濃口醤油の醸造法に改めたとの事です。
諸説ありますが、屋号は創始者、田中玄蕃さんの夢に現れ
良質な水源を教えてくれた仙人の髭と、田中の田の字を合わせ屋号としたと言われています。

ヒゲタ醤油さんの理念は、「天地人」天の恵、土地の恩恵、人の心への感謝。
とし、その感謝の理念は先人、創始者にも向けられています。毎年9月9日には、
国産原料を使い江戸時代の製法で醸造した醤油「玄蕃蔵」が限定発売されます。
創始者の名を配した醤油です。ヒゲタ醤油さんにとって原点回帰であり
ヒゲタの醤油とは?と問い掛けるように年に一度醸造される大切なブランドのようです。

もう一つ大切なブランドとして、国内産原料を使う古式醸造醤油「高倍(タカベ)」があります。
13代目田中玄蕃さんが「醤油醸造家にも守護神があるはず」と考え、
高倍神(タカベシン)という神様にたどり着きました。
磐鹿六雁命(イワカムツカリノミコト)を御本体とする、宮中醤院の醤油、調味料の神様で、
以前訪問した南房総市千倉の料理の神様、高家(タカベ)神社のことです。
明治44年(1911年)ヒゲタ醤油さんに御用蔵完成した際、
高家神社から特別に分祠(ブンシ)していただき、蔵の前にお祀りされました。
この縁もあり、毎年11月23日に高家神社で行われる新穀感謝祭の日にあわせ、
特別な醤油「高倍」が醸造され奉納されています。
ヒゲタ醤油さんは、先人、祖神を尊び、伝統を醸す醤油醸造場だと言えるのかも知れません。

ヒゲタ醤油さんのメイン商品は「本膳」になるかと思います。
きの状態では、丸い味わいの中にどっしり濃口感が広がります。
豆腐に掛けてみると、塩気が立ち深いコクがせりあがって来ました。
素材と重なると、コクや旨味の輪郭がはっきりと出て来るのかも知れません。
お蕎麦屋さんのカエシをはじめ、ツユやタレにも多く使われていることが何となく頷けます。


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by chibanokoto | 2011-09-14 03:47 | 最近体験した●●●のこと  

ちばの里芋のこと

地元、市川市の中山法華経寺(ナカヤマ ホケキョジ)へ出掛けて来ました。
鎌倉時代の文応元年(1260年)日蓮聖人が最初に開いた寺院で、
重要文化財の五重塔や祖師堂など、見応えのある歴史的建造物も多数在るのですが、
今回のお目当ては、参道の茶屋で売らていれる「きぬかつぎ」です。
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今年の9月12日は「中秋の名月」、別名「芋名月」。
月見と言えば普通はお団子を供えますが、9月に入り収穫が始まる里芋を蒸かし、
「きぬかつぎ」を供える風習が今も残り「芋名月」と言われてます。
最寄り駅の中山駅から続く参道には、和菓子やさんもお団子屋さんもあるのですが、
総門を抜け、仁王門の見学もそこそこに祖師堂手前の茶屋を目指します。
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茶屋につくと、丁度蒸かしたてのきぬかつぎを店先へ並べているところでした。
品種は小ぶりの「石川早稲」。煮物にも使われますが、「きぬかつぎ」が一番美味い!
関東では里芋は子芋が沢山取れるので、おめでたいとお正月にも食べられすし、
貯蔵がきくので一年中市場に出回りますが、旬は9月頃の秋口。
料理屋さん等ではもう少し大きい「土垂(ドタレ)」と言う品種が
煮物、揚げ物、汁物に使われる事が多く一般的なのかもしれません。
ちなみに千葉では八街、富里、山武などが主な生産地です。

山で取れる芋が「山芋」で里で取れるのが「里芋」
江戸時代に、さつま芋やじゃが芋が広まるまでは、芋と言えば里芋でした。
里芋は稲よりも早い縄文時代から主食とれていたようで、
日本発祥の芋だと思っていたのですが、ルーツはインドや東南アジアになるそうです。
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さて、茶屋の「きぬかつぎ」
おへその部分だけ皮を剥き、塩を付けゆっくり指先で押すと、
もっちりほんのり甘い「きぬかつぎ」を簡単に頂けます。
やっぱり美味い。
天気も良いのでお土産に買い足しました。今夜はのんびり「芋名月」で一杯です!



・中山法華経寺  千葉県市川市中山2-10-1
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by chibanokoto | 2011-09-13 03:48 | 最近体験した●●●のこと  

銚子のヤマサ醤油のこと

銚子駅を降りて右手に10分進むと、銚子の醤油醸造所「ヤマサ醤油」さんにたどり着きます。
正保2年(1645年)、紀州(現、和歌山県広川町)から銚子に渡り、
漁業で成功をおさめた濱口儀兵衛さんが、銚子電鉄の終点、
銚子外川に漁港を作り商売を始め事が創業とされています。
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受付は敷地の中央で、広大な工場を横目に暫く進むと大きな木桶がお出迎えしてくれます。
その隣には映像史料館、かつてヤマサ醤油さんで活躍していた
現存する最古のディーゼル機関車などが展示されていて、
併設されている休憩所では、醤油のアイスクリームが販売されています。
醤油の香ばしさと、甘味を引き立てる塩気が丁度良く、なかなか美味です。
バターと醤油の相性の良さは、殆どの日本人が認めるところだと思いますが、
クリームと醤油を重ねた、甘さ控えめのミタラシクリームといったところでしょうか?


ヤマサ醤油さんは、伝統に基づき新たな発想を取り入れた
温故知新な醤油を醸す醸造所と言えるのかも知れません。
ヤマサ醤油さんのHPよると、伝統の醤油造りに新しい発想を取り入れるため、
明治32年(1899年)に醤油研究所を設立し、醤油醸造を微生物の力に頼る農業発想に加えて、
微生物が働きやすい環境を作る工業的な発想を研究し取り入れ、
経験に頼っていた醤油醸造に、科学的な要素を取り入れ商品の開発に努めはじめたとの事です。

昭和32年(1957年)ヤマサの研究陣は、醤油醸造で培った麹菌などの
微生物に関する経験と知識をもとに、動植物に既存する?RNA(リボ核酸)なるものを
独自の酵素で分解し、鰹節のうま味イノシン酸と、椎茸のうま味グアニル酸を
工業的につくることに成功し、昆布のうま味グルタミン酸ナトリウムと合せると
うま味が驚異的に増すという「味の相乗効果」を科学的に解明しました。
この研究の成果は今や、様々な食品や診断薬などにも利用されているそうです。

この相乗効果を使い溜醤油に匹敵するうま味と、
濃口醤油の香りを兼ね備えた「さしみしょうゆ」を開発。
昭和54年(1979年)に、業界では不可能といわれていた壜入りのストレートつゆを発売。
平成9年(1997年)には、かつおだしが当たり前という固定観念が強かっためんつゆ市場で、
CMでお馴染みの昆布だしを主原料にした「昆布つゆ」の製品化に成功しています。

現在のメイン商品は、有機丸大豆醤油になるかと思います。
他社の濃口醤油と比べ、きの状態では塩気を強く感じましたが、
豆腐に使うと不思議と塩気が中和され、からさが穏やかになり素材の旨みを引き立ってます。
科学的なメカニズムは知識がないので解りませんが、
卓上醤油として計算された設計なのだろうと、勝手に解釈して感心した醤油でした。


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by chibanokoto | 2011-09-11 04:18 | 最近体験した●●●のこと  

横芝光のワイナリーのこと

横芝光町の斎藤葡萄園さんを訪問しました。
おそらく全国でも最小レベル、千葉で唯一のワイナリーだと思います。
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横芝駅を降りて線路沿いを進むと栗山川に当たります。その手前の私道を曲がり、
門扉代わりの踏切を渡るとそこから先が千葉県のワイナリー、斎藤葡萄園さんです。
歴史は昭和5年(1930年)松林を開墾し、葡萄、梨、桃の苗木を定植した事から始まります。
苗木が成長し収穫が始まるまでは、苺やトマト、薩摩芋に落花生等の栽培販売を続け、
ようやく葡萄の初収穫を迎える事が出来たのは昭和10年(1935年)。待ちに待った収穫です。
その3年後の昭和13年(1938年)には、葡萄酒醸造免許を取得しワイン造りも始まったそうです。
その後も順調に果実の栽培とワインの醸造が進みますが、時は第二次世界大戦、
戦争の影響は斎藤葡萄園にも振り掛かりました。
昭和17年(1942年)、斎藤葡萄園は陸軍軍需工場の指定を受け、
出来たワインは全量軍へ引き取らる事になります。
指定を受けた理由には、物資としては勿論、モールス信号の機材の一部として、
ワイン醸造の過程で生まれる酒石酸を取るために軍の指定を受けていたとのことです。
鉄道と栗山川が葡萄園の直ぐ真横にある立地条件もその理由だったようです。

現在の斎藤葡萄園さんでは欧州品種も栽培されているようですが、
マスカットベリーAに満州山葡萄、そしてカベルネソービニヨンと山葡萄を掛け合わせた
「ヤマソービニヨン」が主要葡萄品種として栽培されています。

こちらがヤマソービニヨン。平成2年(1990年)に山梨大学が在来種の山葡萄を母に、
カベルネソービニヨンを父として交配させ登録された葡萄品種です。食べてみると、
山葡萄に比べ実は小ぶりで若干皮が厚いのですが、充分に甘味があり酸味は控えめでした。
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ワイン用のブドウ畑のイメージは、日当たりが良く水はけが良い事があげられますが、
斎藤葡萄園さんの畑は土壌がフワフワです。
有機栽培に徹し、籾殻や牡蠣殻、ライ麦なども撒かれています。
もともと畑の一帯は、海岸性で砂利が混じるさらさらの地質だったそうですが、
土をうねり、近所の古民家が解体されると聞けば藁葺きを譲り受け、
近くの合鴨孵化場から堆肥をもらい受けと土壌の改善に努めて来たそうです。
ワイン用の畑と言うよりは、山武の特産、果実を栽培する土壌に近いのではないでしょうか?
雨季がある日本ですので、欧米と同じように葡萄を栽培するのはとても困難だと思いますし、
充分に熟した健全な葡萄を造り、醗酵させワインを造ると言った発想なのかも知れません。
先の合鴨孵化場では近隣の稲田に合鴨を貸し出し、有機栽培のお手伝いを行っています。
斎藤葡萄園さんでも葡萄の生育初期に合鴨を放し、害虫駆除を手伝って貰っているそうです。

そしてこちらが醸造場。訪問した日は数日後に絞りを始める予定だったそうで、
機材のメンテナンスと清掃を行っているところでした。画像は葡萄を絞る機械です。
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ソムリエの教本や資料館で見た事のある絞り機が、目の前にあり現役で活躍しています。
木枠の絞り機の奥に横たわるステンレス製の容器に葡萄が集められます。
画像左の木桶を絞り機にセットし葡萄をいれ、中央上部の万力で葡萄を搾っていきます。
絞られた葡萄液は地下の醗酵タンクに送られます。タンクは廃業した酒蔵で使われていた
500ℓの酒母タンクです。タンクは6畳ほどのスペースに8台並んでいます。
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この地下室で約1週間醗酵が行われるのですが、醗酵中は炭酸ガスが発生しますので、
「僅かな時間で醗酵中起こる泡を取り除き、逃げるように進み具合を確認するんだ」と
斎藤さんは悪戯っぽく笑います。こうして醗酵が落ち着いたワインから順次瓶詰めされていきます。
生産量は極少量、酸化防止剤を使わず火入れも行わない生ワインなので熟成には向きません。
毎年1年分がこの時期に造られる斎藤葡萄園のワインは、昔からの固定客も多く、
「出来たら送って」と醸造場の前には早くも一升瓶が沢山並んでいました。

画像は昨年のワイン。斎藤さんが個人用に取っておいた物を分けてくれました。
畑作りからこだわり醸造されたヤマソービニヨンです。
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生ワインなので瓶底に濁りがあるのが分かります。グラスに注ぐと中々綺麗なルビー色。
味わいは思ったより穏やかで軽め、甘味と酸味のバランスが取れていて、
余韻に少しだけ山葡萄の野趣を感じられますが、嫌味ではなくむしろ全体を引き締めます。
常温でも冷やしてもバランスが崩れる事は無く、優しい酸が杯を進めてくれます。
高級ワインのような深みはありませんが、普段飲みにはちょうど良く、
料理やシーンを選ばない、コストパフォーマンスの高いワインだと感じました。

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畑ではシャキシャキ動き回り案内をしてくれた斎藤さんは、
見学の後、土間で昔の話を丁寧にゆっくりと教えてくれました。
人柄がワインのメリハリある味わいにも反映されているようです。
数年前から息子さんも栽培と醸造に携わり、少しずつ引継ぎを行っているようで、
当面はこの素朴で飽きない千葉のワインを味わい続ける事ができそうです。

・葡萄品種  ヤマソービニヨン
・12度
・天然酵母使用
・720ml
・1,365円


・斎藤葡萄園   山武郡横芝光町横芝1074


横芝光のワイナリーのこと その2へ
 
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by chibanokoto | 2011-09-07 06:34 | 最近体験した●●●のこと  

松尾の清酒「寒菊」のこと

千葉駅から房総半島を横断する総武本線に揺られ小1時間、
車窓は一面稲田、ちばの穀倉地帯の景色が一面に広がります。
ここ山武(サンム)地域の湧き水は、水道の源水にも使われる程良質なのだそうで、
豊富な米と水に恵まれている事から沿線の成東(ナルトウ)、松尾周辺には酒蔵が点在しています。
今回訪問したのは創業明治16年(1883年)の寒菊銘醸さん。メインブランドは「寒菊(カンギク)」
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最寄駅は松尾駅ですが、所在は駅と九十九里海岸の中間点で、距離にして約3.5Km?
酒蔵へ続く芝山はにわ道をテクテク歩きます。周りは水田、空には成田へ向かう国際線。
海岸と成田空港を結ぶこの真直ぐな道路は、着陸待ちの航空機の目印にもなっているそうで、
普段あまり見ることの無い、大型航空機のお腹を真近に見ているうちに寒菊銘醸さんに到着です。

敷地に入ると右手に酒蔵、左手にビアハウスが立っています。
寒菊銘醸さんでは平成9年から、地ビール「九十九里オーシャンビール」を醸造していて、
このビアハウスでは毎週末ライブも開催され、生のビールと生の演奏を楽しむ事が出来るのです。
この日のステージはエレキの神様「寺内タケシ」さん。ポーっと遠目に見いっていたら、
寒菊のTシャツにテンガロンハットを被った蔵の方が迎えてくれました。
残暑に3.5Km歩いた体は確実にビールを欲していたようですが、
ぐっと堪えて酒蔵を案内して頂きました。
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大手門のような立派な門をくぐると、先程とは打って変わり静粛な雰囲気に包まれます。
左手に古い土蔵が立ち、その向かいには樹齢200年を超える柿の樹。
その根本には湧水を汲む井戸があります。
柿の木から得られた柿渋は酒袋等にも使われ、そこから湧きでる清水は寒菊銘醸を支える。
蔵の財産です。
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懐かしさを感じさせるレンガ作りの煙突と、造りの時期に蔵人が寝泊りをする宿舎を過ぎると
窯場、発酵タンク、貯蔵タンクが並びその奥に麹室があります。
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寒菊銘醸さんの日本酒は、穏やかな飲み口の日本酒が多いようです。
蔵の方が色々と紹介してくれたのですが、何れも掛かることなくスーッと喉を落ちていきます。
淡麗辛口と言う訳ではありません、旨味が軽く広がって柔らかく終わるといった感じです。
最近の食中向けの日本酒は、酸を基調として料理の味わいを受け止める日本酒が主流ですが、
一方、軽目で飲み飽きの来ない寒菊の様な日本酒もありなのかもしれませんね。

ひと通り案内を受けた時、ちょうどライブも終わったようです。
テンガロンハットの地元カウボーイが話し掛けてきました。
「お兄さんどこまで行くんだい?乗せていくよ!」
ありがたく暴れ馬ならぬ軽トラックに乗せてもらい、松尾駅まで送って頂きました。
「寒菊は毎週ライブやダンス、たまに落語なんかをやってんだ。
母ちゃん達が家の事もちゃんとできるように、だいたい16時位に終わらせてね。
毎週のように知らない人も集まってさ、そんでみんなリフレッシュして家で寒菊飲むんだ。」
「また来いよ!」
毎回思うのですが、特に外房の人は陽気であったかい気がします。
目の前のでっかい太平洋のせいでしょうか?
おかげで楽しい訪問となりました。ありがとうカウボーイ!

今回買い求めたのは「寒菊 花の九十九里」地元の越光(コシヒカリ)で造った純米酒だそうです。
冬に咲く小さな菊の花のように、派手さは無いけど癖も無く、冷酒から燗酒まで楽しめました。
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・麹、掛米 越光
・精米歩合 65%
・15度以上16度未満
・酵母 協会9号
・720ml 1000円

・寒菊銘醸  千葉県山武市松尾町武野里11
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by chibanokoto | 2011-09-05 07:57 | 最近体験した●●●のこと  

銚子のひしおのこと

醤油や味噌の原型は醤(ヒシオ)だと言えるそうです。
製塩が始まった弥生時代には、貴重な食料を保存する手段として、
塩漬け、熟成、醗酵が施されたひしおのようなものが存在していたと言われています。

ひしおは、「魚醤(ウオビシオ)」「肉醤(シシビシオ)」
「草醤(クサビシオ)」「穀醤(コクビシオ)」に大きく分けられ、その内の
米・小麦・大豆などを原料とした「穀醤」が、醤油や味噌の原型と考えられています。

701年に完成した「大宝律令」には、宮内省の大膳職に属する醤院で
大豆を原料としたひしおが造られていたとの記録があるそうです。
大膳職は、先日訪問した千倉の料理の神様、高家(タカベ)神社に祀られる
磐鹿六雁命(イワカ ムツカリノミコト)が務めた宮中の食を司る官職です。
平安時代の宮中の配膳には、ひしお、塩、酢、酒が調味料として添えられていたそうで、
調理された食材にひしお等の調味料をつけながら食べていたと言われています。

現代では、魚を原料とした魚醤の一種として秋田の「しょっつる」や
能登の「いしる」等があげられますが、穀醤の一種としては
銚子の山十商店さんで「ひ志お」が醸造されています。
寛永年7年(1630年)、紀州で創業された山十商店さんは、
宝永5年(1708年)に銚子で醤油醸造業を展開しましたが昭和6年(1931年)
撤退を余儀なくされたところ、現社長の先々代が事業を引き継ぎ現在に至っているそうです。
今回銚子を訪ねたのは日曜日で、あいにく山十商店さんはお休みだったのですが、
銚子駅近くで「ひ志お」を手に入れる事が出来ました。
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見た目は味噌ですが、香りや味わいは醤油に近くてお酒もご飯もすすみます。
胡瓜や豆腐に付けても美味しいですし、焼いた鶏や野菜と食べても美味しかったです。
谷中生姜に付けて食べると、味噌よりも生姜の爽やかさが伝わり美味しいです。
醤油をつけづらい寿司の軍艦に乗せれば、一寸粋?で新しい味わいが生まれそう。
洋食なら魚介のマリネに添えても美味しいそうです。
ポン酢やコンソメは、ゼリー状にして色々な料理に使われています。
「ひ志お」も固形の醤油として、新しい調理法や料理、食べj方が誕生するかもしれません。
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山十商店さんのHPに、現代のひしおの醸造方法が載っていたので抜粋して紹介します。

◆大豆を煎 って二つに割り皮を全部取り除きます。
◆精麦した大麦を水に数時間浸します。
◆大豆 と大麦をよく混ぜて、大きな樽で圧力をかけずに約2時間蒸します。
◆蒸した大豆と大麦を冷まし、そこに種麹を植えつけ4日かけて麹をつくります。
◆出来上がった麹に塩水を加え、重石をのせて1年近く熟成させ原体を作ります。
◆原体に糖分を加えて味付けをしたものが山十さんのひ志おです。
(熟成中仕込み桶に溜まる液体が醤油の原型で、固体が味噌の原型にあたるようです。)

是非日をあらためて再訪し、現地で直接お話を聞きたい醸造元です。


・山十商店   千葉県銚子市中央町18-3


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by chibanokoto | 2011-09-05 04:59 | 最近体験した●●●のこと  

ちばの醤油のこと 銚子編

銚子の駅を出て改札を背にして、
左に進むとヒゲタ醤油さん、右に進むとヤマサ醤油さんが醤油を醸造しています。
名物ぬれ煎餅に、どちらが使われているか興味深いところですが、
駅の広告ベンチも、飲食店の卓上醤油にも、ほぼ両社が並ぶ程地元に愛されているそうです。
この両社が関東濃口醤油を発展させ、銚子の町を支えてきた事に間違いないようです。
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それぞれ屋号に上の字が記されているのは、江戸末期に幕府のお墨付きを得た証です。

江戸時代は、お酒同様に醤油の産地も上方が中心でした。
特に堺近郊で作られていた「溜醤油」は評価が高く、全国に流通していたとのことです。
元治元年(1864年)幕末、幕府は高騰した物価を抑えるため、
商人に4割近い価格の引き下げを厳命します。
銚子と野田の有力な醤油醸造家たちは、
「品質を落とした醤油の醸造は不可能で、値下げすれば経営もできない」
と申し立てたところ幕府の理解を得られ、銚子と野田の特に優良な七蔵が
「最上醤油」として、特別に現行価格で販売することを許されたそうです。
屋号の上の字はその証を意味する最上の「上」になります。
このエピソードは絶好の宣伝文句となり、「極上が関西なら関東はその上の最上の醤油」と、
関東の濃い口醤油が全国に定着していったそうです。
屋号の上の文字が、立地と一緒で左右に分かれているは偶然なのでしょうか??

千葉の関東濃口醤油が浸透した理由には、利根川や江戸川の水運を使った江戸への地の利と、
霞ケ浦の大豆や筑波の小麦といった、質の良い原料産地が近かった事があげられています。
小麦を多用した香り高い関東の濃口醤油は、江戸前寿司や割烹、
蕎麦屋や天麩羅屋、鰻屋といった江戸の食文化の発展にも大きく貢献したと言えるようです。

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by chibanokoto | 2011-09-05 02:56 | 最近体験した●●●のこと